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新たな展開へと
6月23日に母が救急車で搬送されてから
1ケ月以上が経過しました。

その間、まったく自分たちの生活がない状況で
あったのはもちろんですが、

精神的にも様々な葛藤を覚える日々でした。
7月中旬にいきなり母の容態が急変し
北陸旅行に行っていた弟(次男)を呼び寄せ
最初から北海道に来る予定だった弟夫婦(長男夫婦)も
その場に居合わせました。

遠いから、そういう反応なのか、わかりませんが
私には緊急事態、ひょっとしたら、母はこの病院で
最期を迎えてしまうのではないかとさえ
思ったのですが、

お母さん、元気だな

のひと言で片付けられてしまいました。

母の病状が良くなりしだい、札幌に連れてくることが
決定しました。

以下は、SNSで日々私が綴った文章をそのまま載せます。

******
7月18日
昨日は、すねすねで困ったもんだと
思っていた母も夕食を食べさせて
帰る頃には、ご機嫌がなおり、
夫と私をベッドから手を振って見送って
くれました。

今日は、ちょうどお昼に病院にきたので
昼食の最中で、

入れ歯をしないで食べている母を見たの


「あら、お母さん入れ歯しないで食べているの」と

言ったら

「あんた、大きな声で、おばさんだね」

と母。

「おばさんは、おばさんでしょ。
62歳よ」と私。

母のご機嫌ななめは、おさまったよう
です。
******

7月19日

一昨日の夜、実家に泊まった時に、探し物をしていたら
母の日記が見つかりました。

それを読んでいて、なんとなく、母の世界が
少しだけ見えてきたような気がします。

父も母も「建前」だけで生きてきた人なので

本音がどこにあるのか・・・
父はストレートに感情を出してくるので
ある意味わかりやすかったのですが

母は、ほんとうに何を考えているのか
つかめなかった部分が大きく

夫は
「建前ばかりで生きてきているから、お母さん自身も
 自分の本音をわからないんじゃないの」と
言っていました。

日記からうかがえた母とは

他人を受け入れることができない。
それは、ヘルパーへの拒否を綴った個所があり
他人の好意を素直に受け取ることができないんだなと
思いました。
ケアマネさんが、母がひとりで自立していくための
サポートをいろいろ考えてくださったのに
それを、介護事業者が儲けるために
老人を利用しようとしているんだと書いている
文を読んだときに、私は少し愕然として
そういうふうにしか受け取れなかったんだなと
思いました。

ひょっとしたら、自分以外の
私を含める子供たちさえ
母は信用していないのではないかと
思いました。

それは、日頃の母の言動から
夫と私が感じ取っていたことでもありました。

父との生活の中で母が自分自身を守るために
培われてきたものなのか、母が育ってきた
土地の閉鎖的な風土によるものなのか、たぶん
両方のことが大きく働いていると思います。

母の日記に出てくる

「私はひとりで生きていく」という言葉。
確かにそうなのですが、ここにも他人様が
何をしてくれるというの、という言葉があり
ました。

夫と私が考えていた母の自立、そしてケアマネさんも
同じ考えだと思いますが

肉体的にも物理的にもある程度の年齢になれば
他の方たちの力を借りる必要があり、助けて
いただく必要があります。
私にも必ず自分で判断できなくなってしまうときが
ある年齢になった時に来ると思っています。
その自分の「老い」を受けれいたうえで
周りにいる方たちに助けていただきながら
自分がひとりで生きていくためにはどうしたら
いいのかということを考えながら精神的な自立を
追い求めていこうと・・・現在の私は思っています。

私が母に求めたのは、精神的な自立でした。
そうであるならば、実家で母を最期まで
看取ることは可能かなと思っていました。

母は、周りにいる方の助けをことごとく拒否して
いました。その状況を自分で作ってしまいながら

毎朝、毎夕電話をする私に
「毎日ひとりでぽつんとしている。あんたと電話で
 話す以外は誰とも話さない日が何日も続く」と
訴えていました。

そして、なにがなんでも、
母が父と30数年にわたって暮らしてきた
「家」から離れないという
「確固」たる思い(笑)

夫が
「あなたと、Aさん(末弟)は、家から完全に
 自分を切り離して独立しているけれど
 B(弟・長男)さんとCさん(弟・次男)は
 まだ家から離れていないんだよ、まだ家に
 くっついているんだよ。だからBさんは、いつまでも
 親のお金を取れるだけ取ろうとする」と
つい先日、ぽつんと言っていました。

また
「あの家はお母さんにとって
  お城
 なんだよ。自分が王様でいられるお城
 なんだ」とも言っていました。

そして最後に
人間だれでもそうですが・・・私自身も
自分自身の反省を含めてですが
私が母との時間のなかで
苦しめられたことは

「自分は、絶対に間違っていない。 
 絶対に正しい。相手がすべて間違っている」
という主観主義。

それは大阪のふたりの弟たちにも共通すること
だと夫は言う。

少しでも、自分の言動がちょっと違うかなと
いう「客観的な視点」を持ってくれればいいので
すが・・・

私は、イエス様と出会ったことと
夫との生活の中で、客観的に自分をみることを
学びました。まだまだなので、時々夫に迷惑を
かけていますが・・・

・・・というわけで

これから母に私はどう向き合っていけば
いいのか、

母が最期を迎えるまでの母自身の
時間を大切にしてほしいと

ただただ、それを願うわけで・・・

祈りつつ・・・ゆだねつつ・・・
*****

7月22日
我が家の朝食。

夫が
「父さんがね、母さんが入院した時に、○×○
 うちは今決戦の時なんだ。だから家族が力を
 合わせなければならないんだと言ってね。
 ふう~ん、そうなのかと聞いていたけれどね」

と今朝食事をしながら話していました。

1週間母のところには行かないで自分たちの日常に
戻ろうと決めたけれど、やはり、いつも私の頭の中に
あるのは、母のこと。

「だから、今(現時点の我が家)は
 決戦の時なんだよ。父さんはそのあと
 戦争中の話を必ず始めるんだよ。
 きっと、家族としての心構えを俺に話したん
 だろうな。
 戦争で戦友たちは、みんな犬死をしたと
 父さんは言っていた。
 父さんなりに考えることがあったんだろうな。
 戦争の体験のなかから、家族という単位を大事にしよう
 と考えたみたいなんだ」と夫の言葉は続きました。

夫は一人っ子で、両親を若い時に亡くしています。
私と知り合ったのは夫が義母を見送って2年くらい経た
頃だったと思います。

夫の家は、両親とも身体が弱く、義母は腎臓が悪いため
入院・退院を繰り返していたようで、長い時には
1年もの入院期間のときもあったようです。
義母が入院しているときは、高校生の時だったので
しょうか、義父が夫のためにお弁当を毎日作って
くれたようでした。

とても貧しい家庭で、なにも買えなくて、ごはんに味噌を
つけて食べたことなんて何度もあると話していました。
夫は、高校を卒業したらすぐに両親を養うために
就職しました。給料は全部母親に手渡していたそうです。

でも・・・私の家族とは全く違うな~と
感じたのは、家族3人がとても仲良く、明るい家庭
だったのだなということ。義父と義母がそれぞれの
人格をリスペクトしていたことです。

夫は、義父を見送り、次に義母を見送りました。
義母のときは、1ケ月?2ケ月だったかな、何度も夫
から聞いているのに、記憶がいい加減・・・とにかく
天使病院に個室を借り、そこで寝泊まりをして義母を
看病しながら仕事に通っていたそうです。

そのときに、亡くなった義母のために膝まづいて
祈りながら涙を流してくれた看護師の姿をみて、
キリスト教に興味を持ったと
言っていました。

私の家族は、形だけの「家族」でした・・・
だから、私は物心ついたときから、両親を拒否
していました・・・そして、早くその「家族」から
逃れたかった・・・

夫の話を聞くたびに・・・今の父と母が作った
「家庭」というものの結末を思ってしまいます。

それでも
昨日、ひとりだけ通ってきてくれている大学浪人の
男子のレッスンを用意していて、ある英文を読んで
いて、思わず母のことを思ってしまいました。

当時、高校に汽車通をしていた私は朝6時半ころには
家を出ます。弟たちは、当時の教員住宅から近い
バス停からバスに乗り、高校の近くに止まるバス停
に降りていましたが、私は、国鉄駅から30分くらい
歩いて高校に3年間通っていました。
父が母にお金のやりくりが悪いと責めることを
させたくなくて・・・汽車通のほうが安いからと思い
通っていたのですが、母は、朝5時くらいに起きて
冬の寒い朝、表通りに出るまでの長い道を雪かきを
してくれたことを思い出しました・・・

今の母は、時々、モンスターに思えてしまうことも
あるのですが・・・様々な思いが私のなかを絶えず
駆け巡ります。
******

7月24日
昨日は、
退院することを忘れていたと話していた
母が今日は、私たちが帰るときに
「誰が迎えに来てくれるの?
私はバスに乗れないの?」と
泣き出してしまった。

今日の母の言葉はかなり変。
意識がかなり混乱している
様子。

可愛そうで後ろ髪ひかれる思いで
病室を後にする私と夫。

「お医者さんが退院していいと言ったら
迎えに来るからね。
それまで頑張ろうね。」と私が
言ったら

「わかった」とは言っていたけれど
まだ泣き顔。
***********

7月26日
私が病院に着いた時には
母の周りになんとも言えない
オ―ラが。
無気力というか、それこそ
地の底から這い出てきた
妖怪みたいな、なんとも不気味な。

目は落ち窪み、目の下が赤く
だだれているような。

言っていることも、支離滅裂。
父が生きていることになって
しまっていました。

私とおしゃべりをするうちに
なんともいえない霧が少し
晴れたみたいでした。

まだ、言っていることは
グチャグチャですが。

どうしてこんなに認知症が
進んでしまったのか、入院が
長引いたせいなのか。

「娘を生んでおいて
良かった」

お母さん、そこだけは
まとも?なの。

「私、どうなっていたか、
わからない」ですって。

これから札幌に戻ります。
************

7月26日
ここ数日中に、母についての大きな決断をしなければ
ならなくなると思います。

明後日に、岩見沢市立病院のソーシャルワーカーと
話をしてくださいとのことでした。
市立病院は、療養型の病院を強固に勧めています。
そうでなければ、紹介状を書けないともとれる
ニュアンスの口ぶりで医師は話していました。

私も、私が病院に着いた時の母の様子を見ていて
そう思いました。最初から療養型の病院を選択した
ほうが母のためになるのではないかと。

しかし、私と話しているうちに、気持ちが落ち着いたのか
母のぐちゃぐちゃな思考回路は、ある程度秩序正しく
整理されてきました。
まだ、かなりぐちゃぐちゃではありますが・・・

この病院のこの状態だから・・・こうなってしまった
のではないか、今の環境から母を開放してあげれば
ひとり暮らしをしていた状態に完全に戻すことはでき
ないにせよ、高齢者住宅での在宅介護という方法を
選択することも可能ではないのかと
帰りの高速バスのなかで考えていました。

療養型の病院を選んでしまえば、母の行動は大幅に
制限されてしまいます。
母が母らしく、最期の時間を過ごすためには
自宅ではないにしても、高齢者住宅での在宅介護という
選択はできないのだろうか・・・と。

その場合は、母の体調への万全の体制を構築する必要が
あるのですが・・・
もし、それが可能であるのなら・・・

たぶん、今、私がご相談させていただいている方は
そのところを考えているのではないかと思われるのです。
明日、そこらへんをきちんと確認したうえで
またソーシャルワーカーのお話を聞いたうえで
判断したいと思っています。

療養型の病院を選択するにしても、患者とその家族が
納得できるところを選びたいわけで、何がなんでも
市立病院が勧める病院を選ぶつもりはなく・・・

ここらへんの、微妙なところを、お祈りいただければ
感謝です。

あくまでも、何を優先すべきかは、母にとって
どうすることが最善なのかということです。
*******

7月27日
私の気持ちは決まりました。

先ほど、ケアマネさんにお電話で相談してみました。

札幌の高齢者住宅は、ターミナルまでしているところが
多く、ケアマネさんによると、岩見沢市立病院の医師は
マンションみたいな自立した人が入る高齢者住宅しか
想像できなく、病気を抱えている人がそんなところで
生活できるわけがないでしょうと思ったので、そういう
言い方になったのではないかということでした。

残念ながら岩見沢にはそういう高齢者住宅はないとの
ことです。それと、もうターミナルの段階なので
特養か療養型という固定観念しかないのじゃないかなと。

今回ご相談いただいたのは、契約していた高齢者住宅の
社長さんでしたが、キャンセルをしようとお電話をした
ところ、全部引き受けられますよとのことでした。
私自身も高齢者住宅でのターミナルがイメージできなくて
昨日の帰りの高速バスのなかでようやくイメージできた
わけでした。

療養型で母の自由を奪ってしまってももしものときの
安全を考えるのか、それとも、高齢者住宅でのターミナル
を考えるのか、高齢者住宅でそこまで信頼して任せられ
るものなのかと、私のなかでぐるぐる回っていました。

私の気持ちとしては、母を最期まで母らしく生きさせて
あげたいということだけなのです。

ケアマネさんは、クロワッサンさんが気に入って契約したところ
なら温かい雰囲気のところだったんでしょうと言うので
そうですと答えました。
そうであるならば、冒険してもいいんじゃないと。
母は、住宅の近くにある病院と行ったり来たりにはなるかも
しれないけれど、療養型でベッドに寝たままよりはいいの
じゃないのと。

その辺の気持ちをソーシャルワーカーに話せば理解して
もらえるのじゃないのということでした。

ということで、明日、正直に私の気持ちをソーシャルワー
カーにぶつけてみようと思っています。

昨日母に、札幌に行くよと話すと、元気になりました。
新しい家を買ったし・・・?と言うので
たぶん、高齢者住宅のことを言っているのでしょう。

自分の家に戻りたいとは言わなくなりました。
***********

7月28日
母が入院している岩見沢市立病院に感じていた
違和感、

そして高齢者住宅の社長さんに私が母のことを
お任せしようとしたのか

昨年骨折で入院した札幌西区にある「ふかざわ病院」
で感じた感動

それが、なにであるのか、私のなかで明確になって
きました。

それは、人に対する、人の尊厳に対する
リスペクトがあるかないか

とくに高齢の方たちに対する、その方たちが
それまでの人生において背負ってきたもの
その人生の背後にあるものへのリスペクトが
あるかないか

だったのだと。

高齢者住宅の社長さんとは2回ほど夫とともにお会い
しました。お話を伺っていて感じたのが、高齢者への
リスペクト、命の重さへのリスペクトがあったということ。

昨年入院した「ふかざわ病院」の看護師・助手さんたちの
高齢の方に対する声掛けのすばらしさ、仕事の手際よさ
その扱いに愛があったこと

そして母が入院している病院に関して
感じたのは

個としての人間に対する扱いのぞんざいさ
命の重みへの恐れがないこと

高齢の人に対して、夜中に部屋を移動させる無神経さ
それも2回も。

病室の窓を開いていて、強風でブラインドがカタカタと
なり、雨が吹き込み、床に水たまりができているのに
しかも窓側の患者さんふたりはかなりの重症患者と
お見受けしましたが、その無神経さ。

母が高熱を出していることに、私が行って母の様子を
見てすぐに体温をはかり看護師に報告したのにもかか
わらずなんの処置もなされなかったこと。

また母の容態が急変した11日の前日の10日に、母の手が
小刻みに無意識のうちに震えていることに私が異常を
感じ、看護師に訴えたけれど、血糖値が低いとこうなる
と言って何も感じなかった洞察力のなさ、ちなみに
このときの母の血糖値、それも私が看護師に訴える
直前に計られたものは100という数値でした。ほぼ
正常値でした。

母の口に入れ歯を入れないで食事をさせているのが
常態化していたという事実。

もっと早くに母を転院させていたら・・・と
後悔しますが・・・
********

7月28日
今、高齢者住宅の社長さんから
電話があり、岩見沢市立病院は
療養型ではないとダメだと言って
きたようです。

というのは、私との話で高齢者住宅が
北区にある病院と一体と市立病院は
思ったらしく、そうではないので、
それではダメだということになったよ
うで、ルールを持ち出されるとそれ
以上はできないらしいのです。

で、岩見沢市立病院が指定する療養型病院へ
母を入れなければならないらしく
明日高齢者住宅の社長さんが岩見沢
市立病院のソ―シャルワ―カ―と
会ってお話しするようです。

それと、母のように徘徊やせん妄を
起こしてしまうと、病院の転院は
むずかしいそうです。
だけど。幻覚を起こしたのは、岩見沢
市立病院のせいでしょうと言いたいけれ
ど。

やはり、元気な時に高齢者住宅に
入居しないと難しい問題が起きると言う
ことですね。

いちばん良い解決がなされますように
お祈りいただければと思います。
*******

7月28日
どうしたらいいのか、まったく
わからなくなりました。

今の母の状態は、市立病院の環境にいるから
ではないのか、そこから自由にしてあげたら
通常の生活に戻れる意識レベルまで回復するの
ではないかと・・・思うと

私の気持ちは揺れるのです。

確かに岩見沢市立病院が勧める療養型病院へ
転院させれば、一件落着ですが

ほんとうに、それでいいのか・・・母にとって
と思うのです。

一昨日の医師の病気の説明もすごく
不親切です。
こちらがわからないと思っているからか
そして、必ず枕詞に高齢だから
どこかがよくなっても別な個所で問題が
起きるという言い方をしますが
それって詭弁にしか聞こえなく・・・

根本的な原因は何なのですか?という
問いに対しては、こちらが納得できるような
説明はしてくれない。

私は、母に使われている点滴を全部書き留めて
ネットで調べていました。

老人だから、という言葉だけで片付けられても
9日19時までいた時には元気だった母が
なぜ翌日10日の午前中には容態が急変したのかも
納得がいきません。

あれから母の意識レベルはどんどんおかしくなりま
した。

神様は、どう導かれようとされているのでしょう・・・
*****

7月29日

母のことでは、ご心配をおかけしましたが
先ほど、高齢者住宅の社長さんからお電話があり
岩見沢市立病院のソーシャルワーカーと電話で話した
結果、病院側としても在宅を促すことはよいことなので
母の病状が安定次第、高齢者住宅に入居という形に
なるようです。

急性期の病院から急性期の病院へは行けないという
ルールがあるようなので、高齢者住宅へ直接入居という
ことらしいです。

母の病状に関する情報も高齢者住宅の社長さんに直接
FAXしてくださるそうです。それに基づいて医療体制を
作ってくださるそうで、ケアマネもすぐに決めてくださる
とのことでした。

私としては、なるべく早く岩見沢市立病院から
逃れさせたいのですが・・・ゆだねましょう。

後は、母に元気になってもらうことだけです。
早く元気になって退院できるように。

昨日も夕食の時に
「お母さん、入れ歯をつけようね」と言うと
母が
「入れ歯、いつもつけていないよ。大丈夫だよ」と
言うので
「固形物もあるし、入れ歯をつけて食べないとだめだよ」
と私が言うと
「ここの看護師はそんなことをしてくれる看護師は
 いないよ」と母。

時々、まともなことを言う母の状況ですが。

高齢者住宅の社長さんも岩見沢市立病院の情報を
集めてくださったようですが、

「とにかく評判が悪いね」ということでした。

一日も早く、母の健康が守られ
退院できますよう、さらにお祈りいただければ
感謝です。

本当に、ありがとうございました。
********

7月29日
どうしていいのかわからなくなった私が
昨晩友人に電話をして、話を聞いてもらいました。

その友人が今朝Lineで送ってきてくれた聖書からの
御ことば。

とても感謝でした。涙がこぼれ落ちました。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、
 わたしをも信じなさい」ヨハネ14:1

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
 何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
 求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれ
 ば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがた
 の心を考えとをキリスト・イエスによって守るで
 しょう」フィリピ4:6~7

「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・
 イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて
 満たしてくださいます。」フィリピ4:19
********

7月29日
今回の母の件で考えさせられたことは

人生の最終章に向けて私たちは
日々の暮らしの中で
さまざまなことを経験し、考えながら
時を刻んでいるのですが

その自分の最後の場面で
自分自身がどこに身を置くのか
また物理的な面ばかりでなく
こちらのほうが
最も重要だと思うのですが

どう締めくくろうとしているのか
そのイメージをはっきりと
自分自身で描いておく必要がある
ということなのではないかと
思います。

私の母のように
自分の家からは離れたくない、
でも人には頼りたくない
というか、自分はそんなに老いぼれていない
というプライド。

しかし、実際には
母のひとりでの生活は
破たんしていました。

お風呂に入っていないようだ
洗濯をしていなようだ
汚れたままの服をいつも着ている
家の中は汚れたままになっている

そんな報告がヘルパーさんから
されていました。

それに対して
無理やりでも介入すれば
良かったのかもしれませんが・・・
プライドの高い母のプライドを傷つけまい
として、また頑なな拒否のまえに
どうすることもできなかったという
ことなのですが・・・

もっとほかに方法がなかったのか・・・
とも思いますが。

無理やり介入した矢先に
母は倒れてしまったのですが・・・

結論は

やはりその人自身のそれまでの生き方なんだと
は思わせられます。

自分の思いは思いとして
最後は、自分の思いとは違ったとしても
決断して最後の場面に向けての準備が
必要なのだと思います。

そして、ありのままの自分を
受け入れるということなんでしょうね・・・


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クロワッサン

Author:クロワッサン
母親の介護の日々を通して、好きな英語の世界や
興味のあることなどなど、綴っています。

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