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子供を守りたいだけ
こちらへ行って来ました。

以下、FBで投稿した私の感想です。

******************************************
行ってきました。

感想は、行って来てよかったと思いました。

「フクシマ」は、ほとんど過去の事になっていますが
「過去」ではなくて、何も解決されていないということでは
「現在進行形」、これからの影響が未知数であり、福島の人々の
生活の見通しもついていないということでは「未来形」だと
思いました。

「無知であることは罪です」

と都築啓子(つづき ひろこ)さんが
言われていた言葉はとても私の心に響きました。

3.11の福島の原発事故以後、前例があるので、
「知らなかった」というexcuseにはならないと。

今年3月で「住宅補償」が打ち切られること、それによって
生活が立ち行かなくなる方がたくさんいるということ

子供を守るために自主避難してきたのに
その子供を雨風から守る家がなくなってしまう、
子供たちはどうしたらいいのですか、
子供たちを守ってください。

の都築さんの涙ながらに訴える言葉に私も目頭を押さえて
しまいました。

都築さんが暮らしていたのは福島県白河市。
原発施設から80kmの距離がありました。
3:11当事、地震によって道路も寸断され、ようやく家族の無事を
確認し、夕食をとっていたときに、テレビを見て津波のことを
知ったそうです。

そのあとに、原発事故のことを知りました。

しかし、当時、都築さんは原発についての知識もなかったし
行った事もないし、どこにあるのかも知らない、まったく
知識のない状態だったそうです。

原発事故後、まったく、情報はなかったそうです。
なにかあったら、国が守ってくれる、国がなんらかの
情報を発信してくれると思っていたそうです。
それに原発施設から80km離れているから大丈夫だと。

ですから、給水のために無防備な状態で2時間ほど並んで
水をもらいに行っていたそうです。
実は、白河にもかなり大量の放射能が飛ばされて
きていたようで、通常では0.02~0.03ミリシーベルトという数値の
線量が 8ミリシーベルトになっていたそうです。

誰もが、日常に戻らなければならないという強迫観念のものの
ようななかで、日々の生活を送る事に精一杯だったとのこと。

それが、海外にいる都築さんの弟さんから電話がかかってきて
「子供だけ日本から出すように」と言われ、自分たちは精一杯
日常に戻そうと闘っているのにと喧嘩になったそうです。

日本では、福島の原発については何の情報ももたらされて
いない状況のなか

都築さんの海外に住まわれている弟さんから

「何が起きているのかわかっているのか!
 子供だけでも海外に避難させなさい。
 ほんとうに子供のことを真剣に考えているのか」という
電話があり、都築さんたちは、一生懸命、日常に戻そうと
頑張っているのにと、弟さんと大喧嘩になったそうです。

それは、日常の連続性にしばられて、知識のない状態で
判断することの難しかった、しかし、あの時自分にもっと
知識があったのなら、子供たちをこんな危険な目に合わせる
ことはなかったと、都築さんは言っておられました。

そんななか、

「お母さん、ここにいても大丈夫なの?」

3.11後の2ケ月後の5月に都築さんの息子さん(小学校6年)が
30分ほどただただ流れ出る鼻血を連続して出すようになった
時の、息子さんが都築さんに不安そうに言った言葉だそうです。

また、娘(中2)さんも、都築さんの表現を借りれば、水道から
流れ出る量の鼻血をだすようになったそうです。

3:11以後、学校はすぐに4月から普通どおりに授業をスタート
させました。
このお話は、福島にとどまっているお母さんたちの中からも
聞こえてきたお話ですが

都築さんは、自分でさまざまな情報を調べ、学校に除染してくだ
さいとお願いしたそうですが、

「この広い校庭をどうやって除染するのですか。
 大丈夫だと言われているのだから、大丈夫です」と

鼻で笑われたそうです。

学校の態度は一貫していたそうです。

日常の生活を子供にさせるのが学校の役割であると。
子供たちのなかにも、放射能汚染を避けて給食の牛乳を飲まない
子供に対して、他の子供から

「おまえは自分だけが助かりたいのか」という言葉をかけられ
喧嘩が起きていたそうです。

異を唱えることが難しい空気が作られて行ったそうです。

長崎の某山下大先生が

「放射能の心配はまったくありません」と言ったので
そのお話を聞いてきた友人ママは、

「山下先生がだいじょうぶだと言っていたから」と

その友人ママは、マスクを外して帰ってきたそうです。

このとき、マスクをすることさえ、はばかられる周りの空気
だったようです。
ですから、自主避難者は、そうおっと福島を離れたそうです。
医療関係者や放射能能の知識のある人たちが、いち早く
福島を離れたようです。

目に見えない、色もない、においもない、生活がまったく
変化がない状況のなかでの

「自主避難」できるか、またその「自主避難」に対しての
周囲の批判的な空気のなかで、ほかの土地へ逃げられるのか、
仕事を抱えて、両親を抱えて、という様々なことを解決しな
ければならない状況の中で、はたして決断できるのかと

都築さんは相当悩まれたそうでですが

その都築さんを「遠く離れたところ」に避難しなければ
ならない、子供たちを守らなければならないと思わしめたのは

冒頭の息子さんの

「ここにいてもだいじょうなの?」という言葉だったそうです。

そして、5年経った今

避難から5年経ったのだから、もう自立していいでしょうと
言われるけれど、5年経ったから問題が少なくなるのではなく
次か次へと問題が起きてくる、

自立できないの?という避難が辛い。
なかには、2重生活のなかで、離婚してしまう家族もいる
福島の原発事故がなければ、故郷を離れて家族と離れて
暮らすことを余儀なくされることもなかった。

その気持ちをわかってほしい。

と搾り出されるような声で都築さんは、淡々とではあります
が話されていました。

自己責任論がまた持ち出されていますが

「私たちの人生設計に
   原発事故はなかった」と。

これは、たんに

福島の人たちだけの問題ではありません。

もし泊原発に事故が起きれば

泊から60kmしか離れていない札幌は
同じことになるのです。

都築さんは、札幌の人たちは、泊になにかあったときは
受け入れ態勢をつくらなければならないと言っていますが

そんなことを言っている場合じゃありません。
札幌の人も逃げなければなりません。

と言っていました。

福島の原発施設から80kmの白河市でさえ
このような状態なのですから。

函館もそうでしょう、大間に原発施設ができれば
同じことが起きるでしょう。

「平和ぼけ」している私には

都築さんのお話は、とてもインパクトのあるものでした。

できれば、もっと多くの方たちが、このお話に耳を傾けて
くだされば良かったのにと思いました。

この集会にいらしていたのは30名弱くらいでしたでしょうか。


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Author:クロワッサン
母親の介護の日々を通して、好きな英語の世界や
興味のあることなどなど、綴っています。

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